昭和四十九年十一月十八日 月次祭
信心によって、助かるということ。色々な難儀な問題をもっております。お取次を頂いて、お願いをして、おかげを頂くと。それは、私は、本当の助かりには、つながらないと思う。本当に助かるということは、そういうことではない。宗教によって、いわゆる信仰によって助かるいうことは、どういうようなことか。
昨夜は合楽会でございました。皆さんいろいろ遅うまで、信心話に花が咲きましたが、最後に総代の久富さんが発表しておられた中に、こういうことを言うておられます。「人が助かるということは、病気が治った、願いごとが叶うたということが、助かるのではなくて、例えば、合楽に御神縁を頂いて、お道の信心、金光様のご信心によって助かることが出来るという確信ができた」と言っておられる。
「親先生の言われる通りにしとけばおかげになる。親先生の言われる通りのあり方にならせて頂けば助かる。絶対の道が開けるという確信ができた時が、助かった時だ」というふうに言うておられます。
私確かに、そうだと思う。もうこれは、もう既に助かっておる。たとえ現在どうであってもです、お道の信心によって助かることが出来るぞという希望が湧いてくる。お道の信心によって助かる事が出来るぞと、私も、私一家も、ね。というところまで私は、自分の心が高められたときが、私は助かったという事ではないかと。お願いをして、一つひとつの事が成就する。おかげを頂くと。そういうおかげを積み重ねていって、いわゆる信ずる力が生まれてくるということも言えますけれども。いくら、ね。何十年信心をいたしておりましても、そういうおかげの体験は、振り返ってみると幾つも頂いておるけれども、助かっていない人がある。
だから本当の助かるということは、いわゆる心が助かるということなんですけれども、その心が助かるという内容はです、お道の信心によって助かられるという確信が生まれた時、親先生まかせになっとけば、大丈夫という確信が出来た時に、その人は助かっておるということが言えるんだと。という意味のことを話しておられました。それを聞きながら確かにそうだなと思うた。
先日から、昨日一昨日です、夜中に電話がかかってきた。夜中に電話がかかってきても、今私のところには通じません。この事務所ですから。近い内に私の部屋にも付く様になるそうですから、夜中に電話をかけられても、私の部屋に通じることになるのですけれども。今は、夜中にでも誰かがここに出てこなければ電話がかかって来た事が分からんのです。
丁度ここで三日間、若い青年の方、それから青年教師の方達の○少の育成指導がここであっておりましたから、光昭が下に降りまして、地下室に。もう、じゃんじゃん電話がかかって来よるそうですから、かかったところが、私の家内、家内の姪が大阪におります。ちょっとしたお商売をさせて頂いておる。大変この頃は商売も調子よう行っておるという話だけは聞いておりましたけれども、ちょっと叔母さんに変わってくれと言う。もう夜中のことです。なんのこっちゃろか今頃と。というてかかってまいりました。
帰ってきてから、「今、なつえから電話がかかってきました。そして、もうどうにも出来ない問題でお金がいくらいくら、それもまとまった、小さいお金じゃありません。だからもう暫くで良いから貸してくれないか。そして、明日送ってくれないか」と言う相談であった。こりゃ私のところにやって参りましたから、「今頃そんな事いうたって出来るもんか。今お金は銀行関係は全部若先生が仕切っておるから、とにかく明日の朝そちらにまぁー出来る、出来ないの事は電話をかけようと。だからもう夜中のことで若先生達は休んでおるから、明日の朝こちらから電話をかける」と言うて電話をきった訳であります。
で、そのことを私は朝の御祈念にお願いをさして頂いた。家内としては、それこそ初めて姪から金の相談を受けたんですから、ね。へそくりでも持っとんなら送ってやりたいという気持ちだったんでしょう。私もまた、幾らか余裕が有るならば送ってやってもいいなとも思いよったけれども、朝の御祈念にお願いをさして頂いておりましたら、『かんねんしろ』ということを頂いた。
まぁ、面白い変な表現ですけれども、女の人が男にこう押さえられるところを頂いた。もう男の力には及ばん、もう観念した。観念したところからです、いうならば、男の意のままになった。そこから縁が出来て良いものが生まれた。初めはいやでいやでじゃったけれども、いわばもうあの観念するということなんだ。だから私は箇条書きにずっと書いてやってね。
とにかく観念しろと、あきらめろとね。どうなっても良いということだと。お道の信心ではそこのところを、ままよという心になれよと。ままよとは死んでもままよのことぞ。教会というところには、ね、いかにもここには大きな教会だから、沢山のお金がありそうに見えとるけれども、なるほど大きなその日暮らしは出来ておるけれども、お金がそげん何百万というような、まとまった金があるはずはない。
もう教会というところは、もうその日その日が大きなその日暮らしではあるけれども、ね、その日暮らしだから、そういうお金はないということを箇条書きに書いて電話で言うてやった。
「いや叔母さん本当にどうもすみません。ご心配かけて。そう思いましたけれども、とにかく、どこにも相談のするところもなかったから、せっぱつまってお願いいたしたんだけれども、そんな訳ならどうぞ」わたしのこと、兄さん兄さんというから、「お兄さんになら神様にお願いをしてもらって下さい」ということで電話をきった。
今日電話がかかって来た、家内に。もう本当に、まぁーそれこそ半信半疑であったけれどもね、不思議なことで金がととのうた。もうぎりぎりに間に合うた。おかげで大変助かりましたから、これからも叔母さん、神様をたよりにしてもいいだろうか。お兄さんにそんな事を頼んで、これからもちょいちょいお願いをしてもらいたいから、その事をお願いしておいてくれと、こういう訳なんです。
信心がありませんから、そのくらいの事なんです。けれども、この、いよいよの時に観念するということは、あきらめるということではないと、金光様のご信心は、ね。観念した、身をまかした、そこからです、良いものが生まれてこなければいかんのです。ね。
そこんところを教祖様は、「ままよという心になれよ」と「ままよとは死んでもままよのことぞ」と。そういうようないつの場合であってもです、そうこう心の状態が、いよいよの時に出来ておるということなんです。それが私は助かっておるということだと思うんです。
丁度午後の奉仕、もう四時半の御祈念のちょっと前です。福岡の松岡さんたちが親子でお礼に出てみえた。松岡さんの弟さんが大阪におられ、丁度九年前にこちらで製材をしておられた。そして失敗されて、それで夜逃げ同然で、夫婦でどこへ行かれたともなしに、いわゆる、行くえ不明になっておられた。
それが、つい先日大阪から手紙が来て、大阪でおかげで、まあ事業も軌道に乗った。マンションも建てた。もうこれからは、まあ楽になる。まあなったという手紙が里の方に来た。親戚じゅうの者も、やれやれ安心と、まあ一安心させて頂いて、ほんのつかの間だった。また電話がかかって来た。夜。そして、その何を言うておるか分からん様に、その弟の嫁から泣きながら電話がかかってきた。
どうもこのごろ体が具合が悪いからというので、診察してもらったらどうですかということで、診察してもらった。ところがそれが腸ガンであることが分かった。しかも、もう随分進んでおって医者は請け合わない。手術しても一年しかもてんちゅう。だから手術するかしないかは、これからまたという事であった。そのことを、松岡さんに言うて、で、松岡さんも、直ぐその足で、電話を受けて直ぐ、お願いにみえました。
本当に人間の幸、不幸というか、本当に、ほんとうのところが分からずに人間の幸福を願わないものはありません。
そのために一生懸命働きもします。勉強もします。ね。地位もできた。名誉も得た。お金もたまった。家も立派に出来上がった。おかげで商売は軌道に乗った。マンションも建てた。これからは安心だという時にはもう命がない。悲しいことですよね、人間は。
それは九年間というものは、どのくらいな、一生懸命それこそね、ね。いうならば故郷を出る時は、夜逃げ同然で出ておるから、また故郷に錦を飾りたいという人間のこれは、まぁ願いです。思いがいうならば、ようやく九年間という、それこそ夫婦で、ま、一生懸命働かれたことだろうと思います。ね。そして、やれやれこれで安心という時には、もう自分自身の命がない。医者ももう請け合わんと言うた。
私、そんとき松岡さんに申しました。同じ兄弟であってもです、あなたの場合でも、二十年にもなりますか。福岡に行ってうどん屋を始められる時分は、もうそれこそ、まあいうなら難儀の峠だった。それから段々おかげ頂いて、商売も繁昌する。軌道にも乗ってきた。最近は長男がお弁当屋を始めた。もう、本当にこの頃ね、おかげを頂くいろんなコツを覚えてきた。
それで、今日もそれを言っておられました。とにかく一番初めにお客さんが入ってきた、そのお客さんが払うていくお金が、その日のお日初穂としてお供えをすることに決めた。ね。三百円の時もあれば、六百円の時もあるね。それがね、多いほど有り難いというような心の状態が段々生まれてきた。まだそれでね、いくつもそういうおかげを頂くコツというものを、段々覚えてきた。いうならば心の状態も段々助かってきた。いや、いよいよの場合は、合楽があるから、親先生がおって頂くからという安心が生まれてきた。ね。いうならば今日の御理解でいうならばです、合楽の信心をやめさえしなければ、家は幸せになっていけるという確信が出来てきた。同時に、思いと形がずっと整うてきた。
弟さんの生き方も、そりゃ立派ですよね。一生懸命がんばって、それだけの財産を築いた。ところが、もう、その時にはすでに命の方がというほどであった。ね。それから直ぐ電報を打たれて、神様にお願いしたこと、直ぐ「おかげの泉」と御神米を送ること、ね。それが着いたか着かないころ、また電話がかかってきた。
次の病院の診察の時にやらして頂いたら、初めの時と見立てが、全然違うてきた。そして、まあ十日ばっかり待とうということになった。手術を。それから今朝から、また電話がかかってきた。ガンじゃなかったちゅうこと。
もう最近、それの多いのに驚きます。もうここ二三日の内だけでもそれがあるんです。いわゆる、毎日合楽で奇跡が起きておる。もうガンだけれどもガンではなくなってしまっておるといった様な感じです。そういうおかげを頂いておる。
今日そのことの、お礼お届けにみえられました。ね。まだそれは完全に治ってしまっておるということではないですけれどもね。だから、そういうおかげを頂くということも、確かに有り難いです。ない命を助けて頂くとかね。ひらけないはずの、いうならば、どうにも出来ない金銭のお繰り合わせを、もう、不思議な不思議なことでお繰り合わせを頂いたとか。けれどもそういう事が、ずーっと続くという事じゃないですからね。信心というのは。右と願っても左、左と願っても右というような場合があるし、ね。また本当いうたら、それの方が、ほんのこつという感じもいたします、ね。いわゆる神様の願いが成就する。そして私共の願いが成就するという、一つの定法というようなものがあるんです。
先ほど、早川さんがここで前講を、今日は大変おかげを受けとること、お話して頂きたいと言うので、皆さんに聞いて頂いとると。そして合楽示現活動ということのです、ね、大変な、意義をもつもの、有り難いこと。とにかく神様、いうなら、教祖様、二代金光様、四神様からの特別の御依頼を受けておる。いうなら、神ながらな話をいたしておりました。
もうそれが、もうもったいのうして、もったいのうして、こたえん、ね。もう毎日が合楽示現活動に、それこそ席の暖まる暇もない様に活動のおかげを頂いておる。そこには、必ず、あたしの話を聞いてもらわねばならない人、助かってもらわねばならない人がある。今日も御神命を受けてやってきたとか。ね。ですからその間違いなさと、その有り難いことと、その意義の深いこと、広いことをです、天地の親神様、金光大神様、四神金光様がです、合楽にかけておられる。
そこで、私共が、その神様の願いにこたえて立たせて頂かなければならない。そこで人にもお話をさせてもらわなければならんのです。けれども、やはりこれは勉強がいるのです。ね。「合楽示現活動とはどういうことですか」と言われても、なかなかそれを納得のいく様に説明ができない様なことではいけない。
私は、本当に合楽の人は特にそうですけれども、私が第一勉強をしとりませんから、なかなか良い言葉なんか使いきれませんけれども。先ほど早川さんの話を聞きよってからでもそう思うた。ね。もう本当にもう熱情一杯でお話をしておる。もう実にすばらしい事を話しておる。けれども、その金光様という時にですね。こんこん教こんこん教と言うからまあそれだけでね、何かこうお話が引き下げられる様な感じがするんです。
金光教という言い方をまだ知らん位に信心は浅いのです。ね。信心のない人達は「こんこんさん」ていいましょ。ま以前はついこのごろ信心のないまでは、こんこんさんて自分も言いよったんじゃから、今でもやっぱり金光教と中々言えん。こんこん教こんこんこん、まあ漬けもんごたる感じがする。(笑い)
私はこのごろ、一ぺん面白いことがあったんです。まだ【 】でしたけどね、あの善導寺の教会に上田さんという総代さんがおんなさった。この方が大変実意丁寧の信心して下さった。だったけれども、どうしてん、こんこん教ち言いなさるわけです。で、ある時お結界で親先生が、「あんた総代のくせに、あんたこんこん教てなんて言うてから、金光教ちゅうて言わじゃごて」「はーそうですの、こんこん教ですの」ちゅうてから(笑い)。あと親先生も、あの一緒に笑い出しよんなさったことがございましたがね。やっぱり信心の、お道の信心の教養をね、身につけてないわけです。
ですからやはり、そのお道の信心の教養を、まず身につけなければいけん。なるほど金光様のご信心ぶりというものが身につくだけではなくて、言うことも、することもですけれども、特に言葉に出すことがです、なるほどみんなが合点のゆくような、ね、み教えなんかでも、もうしらごつのごというて、例えば、合楽示現活動に参画するといった様なことを私が、これほど繰り返し言うとるけれども、まあーだ合楽示現活動と言わずに、合楽示現運動ちゅう人がまだ幾らもあるんです。もう運動と活動って全然違うんです。ね。参画するということでも、参加さしてもらうということとは、もう大変意味が違うんです。ですから、参画の意を知らなきゃいけない。示現という活動という、その意味を本当に分からなければ人にも説明ができないのです。
昨日の朝、お食事さしてもらいよりましたら、若先生がやってきました。ちょっと親先生のお耳に入れとかなければならんことがあるという訳なんです。昨日一昨日が、南久留米でしたか、大祭でした。ほんで大祭に参りましたところが、お祭が済んで、宮野陣の先生と<にしいばる>教会の先生ですか、「あ、ちょっと合楽の若先生、ちょっとこっちへ来てくれ」と、別室に呼ばれた。そのとにかくは、まあ忠告をしておくということです。ああたがたの今、合楽示現活動ということを言いよる。それから、大黒様を奉斎しよるということ。ということが、もう大変な問題になっとる。まあいうならば、そういうことで何かまたいろいろ話があろうけれども、あらかじめ、ま通告をしておくということだったそうです。
私は、それを聞いて大変有り難いと思うた。とてもね、神様の合楽示現活動がもうそういう末端にまで、またはとても私の話を聞いてくれというても、聞こうとしない方たちにでもです、私が、説明をしなければならないようなことに段々なってきておるということが有り難い。これは合楽だけですまされる信心じゃない。もうとにかく全教の者が、合楽示現活動に参画しなければいけない。そして合楽が受けとるようなおかげを教団全体が、受けなければならない。
それが、世界にも広がっていかなければならないというほどしの大きな願いが込められておることでございますから、とてもね、合楽の教会だけでのことではない。よその教会の人も、本部の方たちも、知ってもらわなければならない。分かってもらわなければならんのです。それを向こうから、そういう働きがおこってきておる。
説明をした。ところが、合楽示現活動ということ。そりゃあんた立派なこっちゃの、有り難いことじゃの、て先生方が分かんなさったごたるふうで、説明をすれば分かるです。それをなら、例えば、へんな表現をすると、そのことがへんなことになってしもうて、問題が問題を生んでゆくのです。ただし、その大黒様奉斎だけが意味がわからなかった。これも、いうならば時間をかけて話さして頂けば分かること。ね。
それこそ、大黒様がもう百五十体も、合楽から出て、ころころ出ていかっしゃったて言うなら、もう皆がびっくりするだろう。まだ、あとからどんどん、まだ、注文の入りよるという。だから金光様のご信心にそういう信心はないということですけれどもです、ね、偶像崇拝ではないのですけれども、合楽の場合は、大黒様を拝むというのではないということをです、私は説明を、例えば皆さんが、されることでも合楽示現活動のことでも、説明をされることでもです、もう少しお互いが勉強をさせて頂かなければならないということ。ね。
もちろん合楽示現活動がどんな立派な言葉で説明をされてもです、その根本になるところのです、私が助かっておるということの自覚がなからなければ、合楽示現活動はできないということ。なら私が助かっておるということはです、さまざまな体験をもって、こういうおかげも頂いた。ああいうおかげも頂いたということもさることながら、ね。けれどもそれは本当の意味においての助かりにはならない。本当に助かるというのはです、私、合楽教会によって私は助かることができるという確信ができた時なんだ、ね。
今は、なら別にまだ例えば、貧乏しとるといたしましょうか。今は、まだ病気しとるといたしましょうか。けれどもね、親先生のみ教えを受けて、それにこたえていきよる生き方さえすりゃ、これは、私たちも助かられるぞと、私の病気もなおるぞというような確信が生まれてくるところまで信心を頂きたい。ね。
それが私は本当の意味においての助かりだと。そういう助かりから、先ほど早川さんが話しておったように、もうそれこそ、もりもりとするような有り難いものがわいてくるだろう。
それで合楽示現活動をするなら、合楽示現活動ということの意味を求められたらです、ね。それを例えば、昨日、若先生が先生方にお話をしたことは恐らく、間違いなくお話をしたことであろう。その先生方が、それはあんた話を聞けば、聞くほどに、立派なことじゃないの、有り難いことじゃないの。と、なったそうですけれども、ね。大黒様奉斎だけはわからなかった。
いや、これとてもです、ほんと言うたら金光様のご信心はね、取次者が拝めなければならんという、言っておる位ですから、そこんところ、よーく話してあげたら意味が分かるだろうと。それにはやはりです、お話をさして頂くためには、あらゆる角度から、どういうわけに、大黒様を合楽のものが拝むようになったかという話を、ずーっとひとつ皆さんに、して聞かせるならばです、もうそれだけで、もう感心されて、すばらしいということになるだろう。
もちろん合楽示現活動というのは、金光教の信者、信奉者が全部です、本当に聞かせて頂いたら、自分もまた自分の教会にもです、合楽示現活動に参画させてもらわなければおられないようなものが生まれてくると思うのです。ためにはやはりです、ね、そりゃもうおかげさえ頂けば、金光様はこんこん教でもよいごたるけれどもです、「あれもこんこん教、有難かの」ちゅうたっちゃ、なんか、かえって笑われるごたる感じがするでしょ。なんか漬けもんのごたるふうに思われたら、いかんですもんね。
もう金光教は、こんこん教じゃなくてから、どこまでも金光教ですからね。いわゆる金光様でなからにゃいかんのですからね。まあ、それ一言、二言じゃありません。もう、いろいろの意味においてです、例えば、こりゃ私をはじめ非常にあのどろくさい。いわゆるあかぬけしてない。ですから、そういうところを私共はもう少し勉強して、体得して、問題は、私自身が助からなければならない。そしていよいよ合楽示現活動に参画さしてもらう、ね、お許しを頂かしてもらわなければならない。
例えば、あの五日の節句には、鯉のぼりをたてますね。少し風がありますと、その鯉が勇ましく大空に泳いでおる。そういう情景というものは、実に生き生きとして男の節句らしいものをそこに感ずる。
どんなに風が吹いておっても、これが紙の鯉でないならばです、ね、それがいくら風が吹いておっても、すたっとこれが下がっておるだけである。ね。やはり私共のね、いかに合楽示現活動、合楽示現活動という、いうなら活動の風がです、吹きまくっても、自分に本当に本当に神になる。この方の信心は、総生神を目指すと言われております。ね。自分で自分の心が拝めれるような状態になることを願いとしての信心だというようなです、信心を目指さない限り、いかに私が、ここからいうなら合楽示現活動の風を吹きまくらしておってもです、それが潔くとか、勇ましく、それが大空に泳がないのです。ね。
これがボロのような布で作ったのであったりしたんでは、泳ぎません。どこまでもね、いうならば、あの紙の鯉でなからなければいけない。いうなら私共の心がね、やはりいつも、ただおかげに腰掛けずに、信心を目指す。いうならば神を目指すという信心にならせて頂いておったらです、いまの合楽では、合楽示現活動が、合楽の信心の先端を行くものだと。私は、まあだ合楽示現活動をする資格はない。自分自身が助かっていない。ためには、まず、自分自身が助かることからだと、そこに意欲が燃えてくるはずである。
または、繁雄さんではないけれどもです、もう昨日は、親先生を自分の心の太陽としてというような言葉を使って話しておられましたが。本当に親先生が自分の心の太陽だと拝めれるようになった時に、もうあなたは既に助かっておるんだと。あなたは合楽の方たちによる、極楽の自覚ということは、そういうことですけども、助かっておるのです。ね。けれども自分の心が神に向かってない。信心に向かっていない。おかげには向かっておるけれども、神になるてんなんて事は考えてもいないね。
だから、そこの心の切り替えをさせて頂きますとです、いうならば示現活動の風が吹いてくると潔く、これがこう、勇ましく泳ぐ。
今私は、最後のところをね、最後の締めくくりを頂こうと思うたら、今のこう五月の鯉のぼりが泳いでおるとことね、なんか、こう汚いボロぎれんごたる風で、鯉ば作っちゃるとが、下さん、だらっと下がってね、全然風も受けていないという様子を頂いたんです。だからね、これだけ打って一丸となって合楽全体の者がと言っておるけれどもです、ならどうぞ合楽示現活動に参画させて下さいという、出きなくても、願いを持たなければいけないということなんです。どうぞ。